なぜなにぼうや


二歳になる前から 日にいろいろ考え
好奇心をもち 疑問がことごとくわいて
近くに大人がいようものなら えんえんと
質問責めするような幼児でした

そして嫌がられました、結果もくもくと
百科事典を眺め 自分で考え仮定で判断し
証明するための類似点を探し
別角度から検証し これも同じ可能性がある
って理論付けするようになり
幼稚園児の段階で 大人がふと見た目線で
何を感じ何を思ってるかを読み時 その人が
苦手と思ってる心とか そのまんま言い当てて
さらに嫌われたものだった。

無意識下の意識 それがいろんな物に現れる
製作物において その発展の方向は偶然だけでない
強力ななるようになる未来に引き寄せられるように
結果がつながっていく スピリチュアルっぽいが
根底には幾つもの精神性の干渉によって起こる。

例えばデスシルフィーの音源にしても
いくつもの人との関わりや出会いの末の産物であり
それは生まれるべくして生まれたもの
好奇心なんて薄っぺらなものでもあり
遥か昔に撒いた種のようでもあると思ってる。

なんで?なぜ?がまったく遠く及ばない力に
気付けるかどうか?ってことが なんで?の
遥か彼方の問題
なので今の疑問は今必要ではないが
数十年後に芽を出す種かもしれないってことだ

つまりいっぱい疑問を持ち ふに落ちたら
いつか未来はいい花壇になってるってこと




fullfull finch Blog

shilfee-tafuca-guniwtools