できることがこころではない


誰しもなんらかの特性をもっている
義理堅い人 不義理な人
能力だけでなく 気性特性においても
良い悪い関係なくバッサリできる人出来ない人がいる。 難なくやれるからそれがその人の本質だ
という人もいるが 全くないから出来る人も多い
つまり その感性や感情がインストールされていない。 だから インストール後過去の自分を恥じて後悔しだすって事もありうる。その立場にたってやっとインストールされ気付くといった具合だ

標準装備されてる資質と思いきや 実はだれでも
もってるわけじゃない。石ころひとつにも記憶があるかもしれないと肯定し想像をする 他の人が気にも留めないことに気付き考えると言うことが
新しいを見つけるアートの資質
感じるがままに感じるはまだ アートの入り口にもたっていない 感じれないものを感じる
無の中に見つける最大公約数的な思考 それが醍醐味。 

自分に欠落してる感性とはなにかというと
底が浅く感じる感動に対して共感が出来ない
とくに大人やアートに携わる人の観点が低いって
思ってしまうといたたまれなく自分の中で
なんかこの人嫌だつまんないって思ってしまう。
上から目線とかで嫌ってるのでなく 自分になんら新しい発見をもらえそうにないから 瞬間にがっかりするのだ。 これが子供とかなら そこからの発展を望めるから 完全にこちらが感動を与える側でいればいいだけなので絶望しないですむが

エンターテイメントの場でなら その勾配差も
妙味として受け止めれるからいいのだが
同じクリエイター立場で生きてる人には
そこはすごく厳しくなってしまう。

自分が欠落してるというのは この境目
エンターテイナーかエンターテイナーでないか
人と関わる場合そこにいつでも なんか魅せる
状況が必要だと思っている。ステージと客席であるなら そこでの役割を相手に求めたりはしないが

ライブでもない時に対峙すると
相手にもエンターテイナー性を求めてしまう
ここが自分の対人関係で厄介な所で
ぶっ壊れてるところかもしれない
要は喜ばせる義務がない時は
知識欲と創作欲が煽られないと
どんより死んだ目になる

今のところ まだ処置の方法が見つけれない
なんの知識も創作意欲も駆り立てられていない人と
時間を共有に耐えうる心 無の中の無であり続け
だらっとすごす。。。。ないわあ むりだ
この深層心理は自分は作り出してないとなんの
価値がないっていう強迫観念と まだ見ぬ物聴いてない物に早くもっと出逢いたいという飢えだねえ

癒しは 小鳥
握ってる間 なんら創作意欲どころキーボードもうちにくいのに 邪魔だなあとおもいつつ握る
小鳥のやばさよ

だから人間に対して むかついて怒りを抑えたい時
文鳥の真似をしろ!はやく!ちがう!ぜんぜんだめ!って怒った事がある 文鳥にちらっとでも見えれば許せるかもと思い

でもまあその状態は笑えたけど

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