物の心


デスシルフィーセカンドは道具や物
静物視点で歌詞を書いてる
付喪神アルバムだ
物言わぬ物 されど存在し続ける
ただひたすらあり続け 忘れ去られ何十年と放置される。使われる 手に触れられるならまだしも
先代から片付けられてもいない納屋のすみで
腐る事もなくほこりまみれで ただただからからに乾いていく 暑い夏と寒い冬の風に吹き曝されながらありつづける、気付かれないまま 何かの重みで折れかかる木製のなにかやら 愛されてない感の家具達や もうそこら中に寂しい物がいっぱいで
このジャンル歌詞のネタなんて無限すぎるのだ
でそして そんな テーブルだサイドチェストだ箒だ桶だって感情移入してたら ほんと心がつらくなって きゅうううってかんじ

命あるから命あるっぽい生物にふだん肩入れしてるけど、物の多くは やっぱり生き物だったりする
骨や角や貝殻のボタンが生前見てた景色はある
椅子の木材が見てたカナダの深い森林
アジア大陸のどこかで風に吹かれてた綿花
布切れ一枚にも比較的数年前まで命をもって存在してた一生があった。鉱物にしたって何億年前は生きた生物の成れの果てで石になったり
そう考えると部屋中そんな生きた時の気配でうずまいて うぎゃあああって気分になって
心が消化不良でぎすぎすしてくる
モニターに開いた歌詞のテキストを常に見直しして
もっと思う事は その物体なりに感じる事は?って追求しているのだが 

なんか考えちゃいけない領域に足をつっこんだ感じもするね。。。神隠しにあいそうだ