河原の


傲慢なまでに虚勢をはり 最高のアルバムができたんでツアーやります 来てください。

って言い放つ事は 90年代もしなかった。

ただ 毎回渋谷公会堂だブリッツだ地方の公民館だと大きい会場でライブをすることに

違和感はずっと感じていて、また 小さなフリースペースで小さな催しものするのが

ちょうどいいんだよと いつも漏らしてた。

大きい会場でいつもやってれば それだけで 「どんなもの?」と作品自体に共鳴したから

でもない ただネームバリューで人があつまったりもする。 音楽ビジネスとして考えれば

それが重要であり要なのだろうけど それでは単なる消費量重視で時代に残る

駄作がかもす時代の一部にしかならない。 発信するにはそこに受け手の素養資質も

備わっていてこそ作品は世に出て その価値が生まれるんだ。 と事務所にも言った

きっちり伝わる人にだけ伝えていく堅実な方法のほうが。。。と


メンバーはその時代のなんか流行り?な音をもってきて得意になってるし

これに慣れろ!と強制までしてくる、 いろいろ嫌になって1998年

ミュージシャン同士の忘年会で目の前に ISSAYさんが座ってたので 質問した。


「なぜ Issayさんは歌ってるのですか?」と

すると

「僕はね歌うしかできないんだ、それにミュージシャンは河原の乞食とおなじで

社会適合できない者達が 河川敷で自分たちができる芸を見せて てらせん稼いでるようなもの」


と答えてくれた。

河原の乞食って表現には即納得行き、アマチュア時代とかもそんな意識だったなあと


きらびやかに行きたいのではなく 自分が凄味を味わいたい、派手な会場の照明のかずより

自分達の醸す雰囲気だけでその場を含む空気を変えてこそ

ライブという見世物だとおもうので、 そんな事をおもって 石狩川のかわべりで配信ライブとかした。

まあ 配信の設定設備でわたわたして集中しきれなかったけどね。。。リベンジは企んでる


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