ひょうか


“人は何かを批評するとき、 作品そのものよりも、作者が誰なのかを気にする。 作品の素晴らしさよりも、それを誰が作ったか、 誰が描いたかが大事なんだ。そしてそれがダリやピカソだったら、 大して作品を見てもいないうちから『なるほど、これは中々』 なんて言って、無条件に褒めるんだ。ぼくは、本当にうんざりする。 (岡本太郎)”


多くの人は 美術の専門家ではない。 良い悪いの判断が世間と合ってない事への不安がある。

だから 芸能人格付け競争みたいな番組がある。 自分がどう思うか?と他人がどう思うか?を

作品から読み解け!ってなったら 保身のためにまず誰の作品か知る事に逃げようとする。


これはもうあきらからに その人には美術は必要ないことで その素養など一切ないんだよ


でもね (岡本太郎)というネームバリューが その文に末についてなきゃ
その言葉自体もだれも関心なんて寄せないんだよ。


つまり感想自体さえも 感想の出来不出来よりも だれが思ったか?ってことが重要で

そうすると すべてひっくるめて 物事の優先順位は その人のブランド力に左右されるということ


どんなにおいしくもない料理でも TVにでてるシェフが監修! 本人が作ってもいない ただ監修

でも評価されちゃったりもする。


みんな なんで各々に目鼻耳口脳があるんだろうかねえ?

人類にそれら、すくなくとも脳は町内に一つあればよいんじゃないか?