そういうもの
生き物は頭で考え見て聞いて嗅いで味わって触れて
それがどういうものであるか考え それに対処を
自動的に行ってるなら本能と呼び そうでないなら
またまた頭でいろんなこじつけをしだし
物事をより複雑化させ収拾つかなくさせる。
本能で片付けるのが1番てっとりばやいのだ
しかしいろんな五感で脳が命令する事は
本能のせいにしてるだけだとおもうのだ
つまりこの場合は みんなこうするものだから
という名文があり その知識によって行動する
という始末だ
考える事をやめただけなのに 考える事が
出来なくなったと言い訳をするって
そういうものっていう最強の言い訳がちらほら
させてる人ということである。
全ての五感六感が脳に作用し
思う事と感じる事の干渉縞が感情
というものだから、人は感情の実存所在地が
脳のどこにあるかわかりにくくなってる。
たとえば好感をもつ好きになるは五感の好みも
確かに影響は及ぼしてるが、それも単なる記憶と
成功体験の結果でしかなく いつでもそれも
ブラックリストに書き換えられる可能性はあり
実に曖昧な気分を含むフラグの集積で
成り立とうとする
つまり好感には嘘の側面性が拭い去れない
不確かな属性があるから不安定さを纏いがち
嫌悪は結果と状況 条件下での物理的な結末感を
心のせいにもして 嫌悪を自覚する
感情の仲間に嫌悪を混ぜるとすれば
それは素直君の別の顔とも呼べるもの
などなどとつらつら物事をみじん切りにして
考察しているより
そういうものっていう公式をあてはめるのが
1番人生スムーズだろう
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