せいしんかのせんせ
「人間は、人生から問われている存在である」
オーストリアの精神科の先生の言葉
まあ専門分野の中だけで考えた せばまった見解だとおもう。
植物を観察してる人ならば、 なんでそんなところに生えちゃって、枯れちゃうのに・・・
って事が何度もあろう。 つまりその時点で植物はいろいろな不都合な植物の人生を歩みつつ
必至に抗い生きてそしてはやばやと枯れる
昆虫を観察してる人ならば なんでこんな所に?他の仲間なんかここら辺にはいないのに。。
と同じような事が、他の生物でも同じ事がいくつも見られる、餌のない池やひえあがりそうな
水たまりに産み付けられた水棲生物の卵を見て 毎回いろんなことを想ってしまう。
もちろん そんな生物にどこまで考えられるんだよ?っていう人もいるだろうが
生き延びようとすること自体が 生物の考えと意思が織り交ざってるもので
それはひたすらな興味と観察によって見て取れるのだ。
なにも観察力と慧眼がないとダメとかそういう話じゃない。
狭い範疇のなかで優れた観察は 他にも該当応用のきく知識になる
そこを結び付ける能力はまた別の能力という事で 植物が連携していろんなことを気取るように
人間の知識も繋がる事によって強固な生物としての知恵になって行くだけの事で
観察力をもたぬのなら 持てる人に注目してそこから情報を得るというのも自然のなりゆきで
竹藪の根っこのように絡む事がその生存率を上げる事になる
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