あたりまえ
あたりまえも常識も 基本は拾いたいように拾ってる人達の共通の主観で
それらは確実にいつの時代ともあらがっているのに自覚がなく同調してる
とっても狭いものの見方の一つでもある。
なので 新しい事をするひとが嫌いで、それによって自分たちが守ってきた
主観をぶち壊されるかもしれないという不安感で 違った事をする人を
攻撃や目の敵にする。
誰しもが勝手に自由に主観でものを捉え考えたら たしかにまとまるものも
まとまらないので 多くの社会では 正しさより立場が優先で回ってる。
正論は人を傷つける!なんて言葉がまかり通ってる所に そんな社会の
立場が優先って事の証。 正しいものが馬鹿を見るのほうが立場が低いので
そうなってしまうのだ。
脱却するには1人で正論を唱えず すこしづつ同じ考えを持つ人らで終結するしかない。
でもそれはつぶされないための戦争と同じことね
なんでこんな話をしてるかというと
動植物や昆虫好きな人らがそれの写真を撮るために入っちゃいけないところや
いろいろ踏みつけたりして別の支持団体や同じ生物好きから注意をされたり嫌われたりで
同じものが好きでもそのマナーや考え足らずで わりと敵対しあい ぱっきりとグループが
分かれていってるのをみて、そんなものに興味のない多くの人からみれば すごく滑稽な争い
みんな好き勝手に主観で暴れてる結果だけど やってるのはいい大人なので
ほんと世の中から戦争はなくなりようがない。
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