あんぐら


前衛的 アヴァンギャルドとは すくなくとも自分が生まれた1960年代には

もう前衛は型となって表れてた

アートフィルムと言った前衛は もうこの大正15年に作られた映画でほぼその型が

できあがってるといってもいいくらいだ。

つまり大正デカダンス、あるいは明治時代には 演劇やパフォーマンスにおいて

そのスタイルがあった可能性もあるわけだ。

ということは 前衛は何も新しいものでもなく 伝統芸能の一つで

ただ世間一般が100年かけても認めようとしないだけの話なのだ

あるいみ ポップ表現よりもはるかに歴史が古い可能性がある。


つまり若い連中が 新しい世界観を模索し 落ちる穴は単なる伝統芸能であって

なんの新しさもなんもあったものじゃない ということだ

おそるべしアヴァンギャルド。。。。

そして このフィルムの驚きは クレジットに アシスンタントカメラ

円谷英一 って名前が。。。。 ウルトラマンの源流にこういった古典アートフィルムに

携わってきた人が作ったという、すごくない?


なので みなもっとアヴァンギャルドを正しく見て そろそろ認めてあげようよ

こんなに長く続けてきてる型を


シルフィーも くるたくんとやってるバージョンに アヴァンを名乗ってるが

こうみると ポストアヴァンギャルドって言った感じかな。

逆にポポトピアのCDのほうが かなりアヴァンギャルドかもしれない。

なにがそういわしめるかというと 間あいがすべてな気もする。


間あいとは 無言の音楽であり すべての芸能の中に走るクロックというか

無のなかに 刻んだ時を忍ばせ そのなにを選ぶかで悠久の時間だったり

光の速さだったりを表す。 音であり音ではない 振動 地鳴りに近いものだったり

そこで とことん 自分を簡略化簡素化するために 白く塗るという手法に結びついたのかと

おもってる。 なので 指先一つを動かすにも 巨大な山くらいの空気のかたまりを押す

イメージだったり 遥か彼方にいる犬をつまむようにしたり、演者のイメージが

観客に届いたとき 神と繋がるそんな感じで動き踊る。。。。

たぶん そういう深さが 浅いひとたちの理解が及ばず畏れられ忌み嫌われ アヴァンギャルドをより

表の光にあてないように 追いやり続けてるのだとおもう。


だから海外の人達のほうが 素直にその精神性の深さに感動して 認めてきてるのだと。

まあ能などの伝統芸能も 日本人なのに多くは その妙味もすごさも感じるための

学習はなんもされてきていないしね。 日本のキングオブポップなダンスだけど


なんというか 教える方法や手段がするっと思いつかないねえ。。こればっかりは

感じ方。。もう 幽霊の見方をおしえるようなもんだ。


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