ぽーとれいと


インスタやツイッターでときどき流れて来る ポートレイト写真

コスプレからはじまって 徐々にアートに傾倒していく人や

いろいろ火がついたようにのめり込む人などさまざま あれど

ひとが被写体になるかぎり、その写真の良し悪し関係なく

そのモデルの魅力に大きく左右されて 芸術点がなんなのか

わからなくなるものがおおい。 逆に撮影テクニックは凡庸でも

モデルさえよければ成立する合否ラインも下がり 良しとされる

風合いもある。

絵画の美人画ってジャンルもそれだ。 絵の良し悪しに大きく

どういうのをもって美人といって描いてるか?その審美眼も

問われつつあるジャンルだが、これも 辟易とするくらい

美人の想定が似たり寄ったりで すごくつまらないのだ

例えるなら 高級レストランで コンビニ弁当選手権でもしてるかのような

大衆的にOKな美の祭典、そこになんの新しい美の提案がされてこないというか

あえて自分はこれが美人だとおもいます!ってのがあっても

かなりおおくが 微妙な美人。。。 まあ実際のモデルを見ながら描いてるのだろうから

人類の目鼻立ちのいちをおおきくかえた人類の絵はないのだろうけども


美人画ってジャンルになだれこむなら もっと時代や文化 その国ならではの

未来に残っても趣のある記録の絵にすればいいのに。。とよく思うのだ

まあ 絵でも写真でも 世に発表するならねの話。


よく思うのが、あえて写真を発表するのではなく、とことん個人的に

良いとおもうものを撮るのと 発表目的に撮るものって あきらかに風合いが違う。

発表するためという魚心がある写真と なんのてらいもなくただ撮りたくて撮ったものと

魚心で撮ったものより、 ただ撮りたくってものの方が カメラマンの心がまっさらに

溶け込んだものじゃないか?と、 発表するしないは考えない方が いいものが撮れると

おもうのさね、あとは繰り返し なんども撮るしかないね。


写真談義すきなひとは モーチャイにでもきたときにでも かましてきて可


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