してん
野生のドキュメンタリー番組を 実家で父が好きでよく見てた。
それもあって自分も ただだまってTVを見て 父の感想を幼児のころは
まっすぐにうけとってたけど
捕食者だってお腹がすいてるからだろ。と小学生で思ったと処から
クラスメイトと話が噛み合わなくなった。
実際 緑地が砂漠化してくのは そこにいたるまでの要因があっても
草食性の生物が 最後のとどめ!といわんばかりに 草を食べちゃうのは
事実でそこに少数ながら肉食獣がいて ほどほどの間引きをしてくれてるから
緑地が守られてるわけで、 肉食獣=ひどい という魅せ方は 1970年よりは
だいぶ少なくなったとはいえ、まだちらほら そう思わせようという番組はなくならない。
1970年までそういう認識だったのは 人類が未開の地にいってどんどん切り開いてった頃で
まああたりまえだけど 森は怖いという認識になる。 その恐怖感が 見晴らしのいい土地にして
肉食獣の襲撃にすぐ気づくようにと 森を削って隠れる場所を抹消させたい という人の行動に
なったのであろう。
つまり 森をつぶしていくのは 原始的な弱い動物としての恐れから
まあ そんな動物がいるわけでもない山も削るのは そうはいっても
なにかしらの恐怖を 深い山に感じているという見方もできる。
と そんな不確定な恐怖を俯瞰的にみて どういう心がそこにあるか?
デスシルフィーの歌詞のテーマにして いろいろ書いてる。
だれも取り扱ってない視点からの物語の宝庫で
テーマをきめたのに 無限におもいつける
漠然と なんにでも もし心があるとしたら?で始めれば
本当にきりがないのよ
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