れいてき


いろんな人が 霊的なものを なにかしらのこじつけで理解決定つけようとしている。

見えない物が あると 突き付けられるのは、自分が賢いと思ってる人ほど

不快でしょうがないだろう。


見えてれば それの理由がわからずとも とにかくそこにある!と納得するしかないから

心の平静は保てる。 でも見えない人には 理由も存在もつかめずただ不快なのだ

霊じゃなく残留思念といいかえれば まだ霊より安心するのは 思念という

もとから見えない物に置き換えて呼ぶことで ひとまずの安心感をえてるだけなのだ


自分も物の感じ方や神経や電気信号だと 科学的に分析できるとこはとことん

腑に落ちる為に研究したり調べたりしてきてる。 でもまあ時々 心霊的な話をするのは

子供の時から はっきり似顔絵が描けるほど見てきたから、反対されてもくやしくないほど

それが実在する事を経験してきたから、ガリレオのあれと一緒だ

それでも地球は廻ってる。 というのと、いるいないじゃなく いるんだもんで

信じてもらえないや ウソつき呼ばわりも子供のときからよくあることで いたくもかゆくもない

まあ よかったのは 父親もときどき見えてたので、家の中では嘘よばわりされず ただ

「外で言うなよ」だけだったのが 恵まれた環境だった


なので もう信じてくれどうのの話じゃなく、FCイベントで怪談するときは

確実に本物に出てきてもらって 複数人に見せてやる!という事を目標において

夏の夜の肝試さない 肝つぶし大会をして、 見せてとにかく黙らせた。

ちゃんと見えた!!って人も数人検出すれば いやでもその場の空気の異常性が

見えない人にも感じ取れ、すこしでもステップアップした経験になるからだ。


で 「な!いるでしょ」と 言えて 共感できるようになる


ライブとは共鳴共感 それが目的であり楽しさでもある


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