つりびと
Twitterで前振り
魚と釣り人の読み合いについて
十代のころ ほぼ毎日 十勝川やその支流の川を
歩き延々と釣り糸を垂らした。
油絵具やスケッチブック 読みたい本屋
テスト勉強なんかも 雨の日以外 河原でやってた
釣りが目的というより 小言の多い家に居たくなかったという理由が大きい。
そんなわけで自然と野山に慣れ親しみ
そこで思想するゆえに 自然的な思考になった
いろんな人生について考える時 釣り糸を垂らしてたそんな時間を膨大につぎこんでた
ある時近所のちょっと知ってたお姉さんが
いつも自分が釣りをしてる場所で 水死体であがったニュースを聞き
それからいつも そのポイントで釣る時は
人の味をしってる魚のような気がして
複雑な気分で釣りをしていた。
で話をもどすと 川釣り渓流釣りの面白い所は
水中の魚と常時睨めっこしてるような
お互いその時 探り合う交流をして戦う
もちろん個体差でなんも考えず食いついてくるのもいるが まず探りでつんつんつっついてくるのがいる、その瞬間かくれんぼのように 気配を消したり
針についてる餌の虫のように怯える心だけ
糸から伝わせて餌に注ぎ込んだり
水の上にある身を風で揺れてる草のように揺らしたり とにかく水辺の生態の一部に同化しつつ
その心をカモフラージュする
それでうまくばかしきれたとき 魚が食いついてくる。殺気をとことん殺しつつ狙うのだ。
しかし海で釣りをすると そういう繊細な
遊びがあまり意味がない感じが 海の魚に感じ
数度海に糸は垂らしたがすぐ飽きた
野山歩きで獣道をみつけたときも
そこを一歩づつ歩きながら 同じ道を歩いた
動物の気を読みながら いつここに来れば
そいつと出会えるか考えてみるのもすごく楽しい
そうそう 20歳の時 解った事
西に流れる川に住む魚と
東に流れる川に住む魚の
性格が全然違うんだよ。。
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