あーと
沢山の人達が 日々何かを伝えたくて 感じさせたくてアートする。
あーとの語源の意味は 技術だ才能だと説明されるが、それは意味でも何でもない
一番アートじゃない答えのように感じる。
人は言葉を使ってコミュニケーションをとるが、それだけで伝えきれない含みを
アートと呼ぶのではないか?とおもう。 でも 一般的に音楽だ絵画だって傾倒してる人は
言葉がうまく使えていない。 伝える事が目的なら 絵ならどんな画材でも 音なら
どんな楽器だって使って見せるとやってるのに 言葉は無視されがちだ。
ざっくりいえば 言葉で言い表したら 野暮なことになる。
でも野暮くならない 言葉の使い方もある。 そのスキルを磨く事は
表現力のおおきな助けになると思う。
音楽に関して 音楽で分かり合うってことは可能だ、バンドマンはある種一般的に
勘がよくなる、みてなくても うしろむきでも相手の鳴らす音で 相打ち可能ってくらいに
でも そのためには お互いの音を押し付けることなく 許容できないと無理なのだ
そして 今日もいろいろな人達の なにか伝えたいんだろうなあ あれこれを見て
むな焼けがしてくる。 伝え方の下手 伝えるものが何もない奴 くどい奴
何考えてるかまったくわからないやつ わかりたいともおもえない奴
さまざまみて。
やっぱりアートって まずの始まりが高技術ってのが 一番心をつかむ楽な方法なんだなと
おもいつつ そこに至らない連中が 心だなんだと暑苦しさを押し付け 汲み取ってもらおうと
あがいてる。 ときおりそんなむな焼けで いやになると 昆虫か小鳥ながめて
でへへって 心をニュートラルに戻すのだが、 そして また はっと考える
自分は本当にアートがすきなのか?と そして自分的に許せるアートだ音楽とは?と
再度分析し、とりあえず ゴミだ!っておもえるものは ずらあああっと思いおこせる
そして できるだけ おらおらいいだろ!これ! って思いを乗せずに
おもしろかったら楽しんでね くらいでフラットなもの作ろうと ふつふつ思うのであった。
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