ですのいと
きぞんの概念の破壊という事で シルフィーそのもの
自分だけで構築してきたアンサンブルをよってたかって破壊してもらう。
というのが デスシルフィーの初期構想の土台
で ハードロックだメタルだってものを 時代として聴きぬけてきた
その中でもちろん若い時は 上手いおにいちゃんたちだなあ ってのもいれば
へたくそか!ってのもいたけど、 ここが大事だとおもうのだが
あこがれだけで全てOK って ミーハーの10代じゃないんだから
しっかり自分なりに消化し その匂いを踏襲しつつ再構築する。
新しい音楽とは まず最初に否定。それで本当にいいのか?と見つめなおし
正確に自分の心が思う 良いで組み立てる。 もちろん それはもはや
その時代を表す音楽ではないけど ただ時代性までなぞるだけなら
ただのコピー曲でしかない。 そこに尊敬はあるのか?リスペクトしていない!と
言及してくる人もいるが、 当人が怒るなら ごめんなさいとも 言えるが
ただの信者君が腹を立てても お前の事はリスペクトもなにもしてないし。。。
どっか行ってよ ミーハー坊や。としか言いようがなかったりするのが心情だ
なんにせよ 古きものを振り返りつつ過去を破壊し 新を作ってこそだと思うので
そんな些末な事は気にしてられないのだ。
で いまデスシルフィーは2作目のテーマとして グラムニューウエーブサウンドを
再構築しようとしているのだが、土台にニューウエーブをぶち込んだり
最後に振りかけとして アルペジオ差し込んだりしてるが、面白いのは
みんなで破壊して けちょんけちょんなニューウエーブになって
かすかに瀕死なシンセサウンドがいたりで にやっとしてしまう。
結局はね ニューウエーブってあの当時 耳新しかったシンセの音色が
おりなすだけのシンセ技術革新のサンプルでしかない
あの当時の機材の癖をしってれば わりとお手軽なジャンルで
大層なもんじゃないのよ
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