おうえんよく


すげええ すごーい って思えるものや人は
自分にだっていくつもいる
人を絶対褒めないよねって言う人もいるが
それは そう言う人の周りに 私が良いと
思える人がうろちょろしてないだけの話で

あなたといない時に結構 人誉めてるけどなあ
と返してる。

そしてより凄いな!って人と出会うためには
自分も日々精進してこそ 理解できる領域がある
まったくの素人では青天井をただ広くて高いって
言い表しても すごく何も見れてない感じだから
少しでも理解し感じ取れるように 全ての感覚や
技術や難しさも含めて体感する事によって
その世界をしっかり見れると思ってる

そんな最中で アスリートの撮影カメラマンが
カメラを持ったまま選手より速く走ってしまう
なんてことが起こるのも よりその先を
見たいという欲求の為せる技であろう
技術に追いつくためには技術を磨く

じゃああなたが選手になれば良いじゃない!

っていう奴がいるけど
街に住みたいと 街を眺めたいくらい以上の
差がある

出来るからやればいい では興味心は動かない
できないから よりその先へ って選手の心とは
訳が違う。 ただ見るだけ?とかじゃなく

飛び込んで見える視界は選手の物で
俯瞰で見えるはっきりした全体図と
飛び込んでみる内側からの視点
どっちも大事な視点で 最大に
知識欲を暴発させるなら必要な事なのだ

音楽は楽しい その楽しさは内外行き来する上で
より外骨格を形成でき 時間軸での表現再現が
明確に作れていく。

メロディはいっぱいあって でも
その運び方に個性も時代のしょうがない感もある
その時代ゆえのメランコリックさだ
厭世観が共通の音感触を生み出してる
同じ世を憂いてる歌でも 時代と感性で
微妙に変わる。それにきづけるのも

リアルタイムでその時代を生きて 現在から
俯瞰で時代の走り方を観察してきたからであって
生まれてなかったや物心ついてなかった人には
精密に再現できるものではないのだ
なので そういう資料でなんちゃってレトロ再現
してる若い人には知識を話ししてあげる事はできても 心から応援する要素が見当たらない

自分より5歳10歳若くて 80sミュージックの模倣は基本わかってない子達 よっぽど幼児期から自我に目覚めていろんな事を記憶し感じ取ってる子じゃなきゃね

自分がそんな子の心とすりあわせるなら
50sロカビリーを作れば その瞬間
自分がそんな人となる。
絶対その時代の人からみれば

違う。。。っていわれることうけあい