えいが


グニュウでデビューしたての頃 ミュージックビデオを自前で撮ってると言うと

映画とかには興味ないんですか?とか言われたが 作る気はない と答えてた。

正確には 製作チームを作れる気がしない ってところだ。

自分ひとりの創作パワーだけでまとめたって 映画と呼べるものになるわけがない

と感じてた。


MVを撮ってて当時感じてたのは 被写体ミュージシャンはそもそも俳優ではない

そこに見せ方において圧倒的な違いがある。物語をつむげないのだ


それゆえに気の抜ける所もあるし

切り替える撮り方もあった。 で常に考えてたのは ミュージッククリップとしての

目指すべき方向。 大手メーカーに勤めていれば それは売るための宣伝素材であって

作品ではない。だけども ミュージシャン含めて撮りてには ひとつの作品と

思いたい欲もある。微妙だけど大きな考え方の差だ。

宣伝材料というものは商品としてなりにくい故 かけれる経費は抑え気味になる。

かろうじてグニュウは全曲MV化という事で その宣伝素材も直結した商品に

成りうるだろうからの融通が 従来のMV制作よりは効いてたとは思うが

それにしてもだ、ってところである


そこで 映像の作品とはなんぞや?という所にぶちあたる

映画は総合芸術とよばれるだけあって 物語から演技、大道具から衣装まで

多くのところに気を配り動画でまとめていくというスタイル


自分がグニュウを一人で始めた時 自分が作るいろんなものを

音楽という形でまとめる入れものとして始めた。音楽を聞かせたいだけじゃなく

表現手法ひっくるめて物語を音楽で束ねるという目的でバンドを道具と呼んだ。


全ての楽曲に映像がついてる。。という たんなる一つの条項でしかない所に

過剰に反応され、映像=映画 という事を要求されかけた所に

いろんな そうじゃない感でもやもやしたものだった。

自分で出来る目が届く範疇でくみたてまとめる ミニマムな映像作品

創作物で喩えるなら ミニチュアドールハウスです。


映画は撮らないの?って質問は

ドールハウスを作ってる人に 「家は建てないんですか?」って言うようなものです

返す答えは 「馬鹿なの?」 しかないじゃないですか

ぶっとい柱の木材だけで何十万するとおもってんだ?と

自分ひとりで購入してリュックで運べるとでも思ってるか?と


インタビューでもこたえました。ミュージックビデオくらいなら

そのうちだれでもパソコンでお手軽に動画編集する時代が来る。と

でもそんなことあるわけがない的な返し方をされ にごされました。

なので VVシリーズは作品という意識よりかは いずれやってくるそんな時代の為

たいした設備がなくとも ちょっとのアイデアと手間でMVが作れる

手法のサンプル集になるように だれでも作れるやり方をまとめていくという

教則ビデオを作る思いを含ませてました。 

それを土台にいつかだれかが すごいものを作って

見せてくれて、グニュウのMVがきっかけだったって言ってもらえたら

つくったかいがあったなあ ってのを夢想して


で 後期一気に映像作品に興味が失せてく。 

理由はデジロック的音とそのメロディに風景がまったく見えなかったから

それと誰でもできるよ的初歩技術もそろそろネタがなくなり

あとあるのは 素人には無理だよレベルばかりになってしまったってのも

要因。 一生懸命説明して教えて 「そんなの無理だ」って言われても

すごくつまらないしね。


でも今 あれらのVVシリーズを見直すと たしかにバリエーションはあるけども・・


アナログでどうすれば形になるか!の教則集だ。。。。。


デジタル時代においての切り抜け方じゃない。。。。なんてこったいって感じね

とほほだ



ーー追記ーー

そっか インタビュアーに 映画作らないんですか?って聞かれて

「物書きやってるみたいだけど 本ださないんですか?」って尋ね返せばよかったんだ。。

ということは 最初から本を何冊もだしてるような人に

「映画作りなよ」と言われたなら きっと 喜んで言葉を聞けただろう。

奮起は競いたい相手との出会いや会話に見出してるので 作り続けて元気な人としか

関わっちゃいけない 低いエネルギーの人には自動的に合わせてしまい

自分のエンジンが吹き上がらなくなってしまうという 苛立ちのせいだな・・・・

自分にちょい疲れる所だね。。





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