きにいらねえな


多くの人がどうでもよいと考え適当にする所を 深く掘り下げ観察し それについて改良点や発展をさせていくような状態の人も 発達障害の1症状とみなす 

みたいな話がネットにちらほら上がってるが この世の中の発展は全て 

そういう人達の努力と成果で成り立ってる 


 確かに一つの事だけにかまけて 他がおろそか コミュニケーションが取れない などいろいろ 

言葉の通り障害を成す部分はあろうが、ひとくくりでものにこだわるを 症状とみなされるのは、

正直気分の良いものではない 

 しかも 他人がそれを言ってどう思うか?と他人には問い詰めてるような人達が

 他者の性質を病人扱いするとは なんぞや!!と 思うところもある。

ひとの気持ちを考えてない!って弾劾する人ほど 結構人の事深く考えずきつい事

普段から言ってたりする。

なので そもそも気持ちとはなんぞや??ってところに戻ってしまうのだが

心穏やかと 無関心は ほぼ重なる部分もあるので、 人と関わりを大事にするならば

怒りも重要なパーツなのだろうとも思う。


 そして はて?なんで自分はそんなどうでもいい人の雑多に広範囲な言動にむかついたのか? 

 気に入らないなと思った 主軸はなんなのか? 

 こだわってる事がある事になんの劣等感も罪悪感もないので そこではない。 

 そこで脳内に思い出すのは、小学校時代 課題を発展させた発表をするたびに

攻撃してくる 教科書お手本まるなぞりしかできない同級生の顔だった。 


 そんな10歳くらいの時のどう考えても未熟な連中の劣等感誤魔化しの意地悪なんて 

 とるに足らないものだとは理解してても、そんな同窓会なんて呼ばれても絶対いくわけないので

 やっぱりいまだに根にもってるってところで、その障害者扱いされた経験とリンクした小学生時代の心情が思い起こさせられてイラっとした。というところが自己分析 結果


 同級生の顔を思い出さないで 聞く分には ふ~ん がんばってね健常者君♪ って感じになる。 

 と踏まえると 自分が持つ不満や怒りって過去かかわった人によって抱いた感情が種になっていて

そのケースをあてはめて 予測し 条件や状況や詳細をデータ化し分類し
気に入る 気に入らねえとなってるという事。


ちびっこの時の境遇や感情は根深く残ってるのは致し方ないが

発展させた考え方を持ってるなら いかにはやく今の思考に切り替えるかが重要ね。

切り替える思考をなにも持ってないと 幼稚な感情時代のトラウマとして

いつまでもぐじぐじひきづる事になる。 無駄ね



  

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