説法?


親族のお通夜にて お経のあと坊さんの軽いトークタイム

いきなり 坊主が


人間死んだら全員地獄に行きます。


で始まった。 葬列者全員 心の中で へ???と思ったであろう

ワイドショーの見出し的に 視聴者に え??と驚かせておいて

そのあと ぐだぐだな話しかできない あれと同じ算段での気の引き方


まあ まんまと そのあと筋の通らない倫理や良心の話をしつつ

だから手を合わせるのです! と無理やりな完結で話をまとめたつもりで

しめくくる。


それよりも終始きになったのが、発声の方法。

話声には坊さんらしいだみ声倍音まじりで ぜったい昔は倍音バリバリさせて

お経となえてたであろう声質なのに、、今はできるだけ喉をひっかけないで

倍音をおさえて 軽やかめにお経をソフトに読み上げてる。

喉を枯らさない 傷めない発声。

近年のスタイルなのか?とおもいつつも だいたい15分くらいで のど左上部に

枯れが出てきて のどの弱さが読み取れた、 お経は数分事に寸断し

喉休め的な休符たっぷりめで説法以上 お経未満の息継ぎで緩急をつけて

全体のバランス構成を調整している。 随所に 経典を仕舞う 出すの意味のわからない行動をいれつつ

式っぽさに見せる創意工夫がなされてる。


そして 説法で 仏教の始まりはそもそも お釈迦様が生きてた所までさかのぼる!と

かましておきながら 夜叉孫弟子のさらにまだはるか下の もはや教えもなんちゃらか?の自称弟子の日本の仏教創始者あたりの坊主の話にすり替え、自分らの信派をふわっと紹介しつつ

信派の違うかたもおられるかと思いますがといいつつ さしさわりなく場をまとめようとする

腰の引けた所もちらほら。


その仏さんが その信派なら お前はどうどうとすればいいじゃん!とおもいつつ


信派がどうであれ 仏の原点はゴータマシッダルタの哲学であって 

お経なんてなければ墓を売って商売なんてしてないんだからな。。。と

ぶつぶつ思いながら ながめてた

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