描きたいもの



 ここ最近 ライブとアルバム製作の傍ら絵を描いてます。

去年おととしから頻繫に写真を撮るために出かけ 描きたい光景を見つけてたのを

絵にしてるのですが、そんな絵を描きながら人物を描いてきていない事に気づき

さて?いつからその傾向があるんだ?と振り返ってみました。


すきな絵画 デキリコからはじまって ターナーだ ハンマースホイだ

ワイエスだホッパーだフリードリッヒだ・・

あれ?好きな画家って人物が風景のワンポイントにしかなっていないものだらけだ。

ミロにいたっては模様でしかない パウルクレーも・・

人物が上手く描けない意識もあって解剖図だなんだと人物観察や分析はしてるつもりで

いたけど そもそも真正面から人をしっかり観察してきていない?

小さな人形とか作る時には人物をしっかり観察してたつもりだけど、

絵にまじめに描いた事がないと ここ最近いまさら発覚した。

普段から意識してみていなけりゃ そりゃうまく描けるわけがない

そういえば人と対面しても 見てるとこは頭骨全体の形と口と顎と首筋肉

指先、膝、皮膚感、健康的判断をしようと脳は働いてるけども

人体のバランスを描くために脳にすりこむような見方をしてきていない。

絵を上手くなりたいなら つねに脳内でクロッキー写生するように見ていないと

上達できるわけがないのだ


例えばファンタジー絵画だけども足立画伯の絵は手足は妙に学術骨格的表現がなされている

そこに不思議な特徴の描きたい顔がぐいぐい行き、入れ込んでいない部位は

失礼のないように冷静に学術的にかっちりこなすって感じで 描きたい心の入れどこぬきどこを

差し引きしてバランスをとっている。


絵でも音楽でも抜きどころがかっこよさにつながるもので、ライブで例えるなら

マイクスタンドアクションに近しいところでもある。マネするのはできても

さまになるには その経験と技術の上にしか成り立たないみたいなもの


で自分はアートの人だとよくいわれても これが俺の絵だ!といえるような領域には

ぜんぜんいない、実に中途半端なレベルだ。

自分がそれを描きたい!とおもって選ぶモチーフは風景や光景がほとんど

ただしただの風景というより表情のある気配のある風景ということだけは

狙いが定まっている。

だからこそある意味の写実以上の画力が必要なので まずは写実力も習得しきらないとと

ここ十数年 そんな意識でたっぷりものを見てきた。 なのにほんと描くとまだまだ



まずはライブも発表の場として下北とかな会場の時 2,3点くらいは持って行って

ステージを飾るくらいしてみようかとおもっている。

描き貯めたら モーチャイで期間限定で個展のまねごとでもしてみようかと

狭いお店なので 絵をびっちり壁に飾ったら 普段のモーチャイとは違う異常な感じになるのは

必至なので、ほんと1,2週間限定で 常設はできないです。


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