てーま
“押井:そうやって飛び出したヤツも何人かはいる。今残ってる連中はジブリという組織、会社員一般で言えば会社の名前に守られてるだけ。外に出てやっていく自信はないんじゃないかな。 僕から見たジブリは、「宮さんの映画を作る」ということに特化したちょっといびつなスタジオだから、みんな守備範囲が狭いわけ。外に出されたらあっと言う間に萎えちゃう。温室なんです。雑草みたいなヤツはほとんどいない。宮さんひとりが獰猛な百獣の王で、その獰猛な百獣の王を飼うために人工的に作ったサバンナなんだよ。” —
「テーマがある人は、テーマなき人をどう使ってもいい」:日経ビジネスオンライン
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ばくぜんと俺がバンドのテーマだ!って感じのところもあるけども
ひとつのテーマだけを 自分に重ねてたら 結果世界が縮こまる。
よっぽど その一つの味に 大勢の人がはまるならばよいが
コカコーラ社だって ファンタだ ジュースだ缶コーヒーだ って
さまざまな味わいをテーマに商品開発をしている。
ひとつのテーマに絞る。たとえば コンセプトアルバムといいつつ
アルバムでひとつの世界観を構築するというバンドはいっぱいあるが
仮にうけいれられたからって なんとか2 なんとか3 と続けていくと
映画のなんとか2みたいに だいたいが だれる。
だけど上記のように テーマを持つ人 と それを手伝う人の図式で
温室だ 野生だ とは別の話じゃないのか?とは思う
たしかに技術はあっても 主題テーマがなくて ただなにかを見て再現だけ
リアルにしてるって人は多い。 スーパーリアルのつまらなさは
主にそこで、アートとは本来 なげかけ うったえ あらたな提示であるものが
魂がないまま技術のある作品をネットでみて 精度の際を見てしれて
器用な人がただ どんどん精度だけあげていく
そして アートにたいして朦朧なひとたちが いいねとリツイートをくりかえし
器用な人を錯覚させていく。って様相だ
だからといって テーマないひと どう使ってもいいにはならない。
まっとうに対峙するなら テーマを持ちなよ。 というしかないのだが
歌詞がかけないってバンドマンって そういう存在よね。
氷室京介とか あんなにかっこよさを体現できるのに 歌詞はかけないと
曲だけかいて他の人に歌詞をまかせてるそうな
でも。。もっとひらたくかんがえると なにかを訴えたいという熱い心もなく
ただ技術としてのアートを職人として関わりたいって見方もあるから
なにを1流2流とさだめようがないが
べつものであることは たしかね
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