けいろ


知識の共有が ネットですっかり多くの人が享受できるようになった。
全く縁もない赤の他人に無料で回ってく

ネット以前は知識を持ってる人に気を使って
じょじょに教えてもらうとか
学校に通うとか いろいろまわりまわって
何かしらの努力の末 その知識にたどり着くか
何十年もかけて自分で創意工夫して気付くか
どちらかだったもの

今はおおよその事はネットで情報を得られる
とんでもない百科事典みたいなものだ
なのにネット以前に人々はそんなに
百科事典に興味をもって熟読してる人は
いなかった。つまり知らない事があれど
辞典の索引は探せない人ばかりだった
トップページにまとめページもないから

知らない事を知る能力すらないのだ
つまりネットが普及したのは
パラパラ見てれば新しい知に出会えるから
ここまでいっきにネットが普及した
最初も今もコミュニケーションツールではあるが
ネットでの知識で圧倒的に弱いところは

それが活きた知識になりにくい様相があるとこ
知識には ただ知ってるだけじゃなく
どう知った?だれから学んだ?かによって
やっと通う血管というものがある感じがする

ひとつの知識において実行実用するとき
思い浮かべる教えてくれた人の存在
その思考が技術をとおして知ってるその人の知と
つながり血がかよったような文化の共有になる

ホリxモン系のこださいところは
ネットで調べれるのに修行なんて必要ない。
と言ってる所は 知識を与えてくれる相手がいない
ひねくれた感情で効率ばかり重視して
知識ひとつひとつにも感情的な流動があることにも
気づかず 情報もただの物としか捉えてないとこ

学ぶ力を自分だけの力と過信しすぎてる所だ
一見自力で学んでるかのような事の多くも
関わるいろんな周りの人との関係性で気付くものだらけだ。優秀そうじゃない関わらず なにかしら
気付きは貰える。


知ってる 読んだことある って答えだらけで
やったことある あれそうそうかんたんじゃないよ
と言える人間の少なさが 結果知識の面白さを
けずっていくことになる


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