ついーとほそく


出来を認められる認められない以前の
自分で作ったの?の所からの疑惑経験を積むと 作品の評価を欲する事もなくなり ああいい天気だなあと空虚な気分に落ちるので
褒められてもいらっとする歪んだ気分の土台にある不快感は
もう誰が作った考えたより
楽しませれたかどうかしか意味が無いからだね

ーー補足ーー
褒められると それは自分が喜ばされる事が第一の目的にあった事案になり
相手を喜ばそう楽しませようとした作戦の失敗を感じるのだ こっちになんの称賛の言葉なぞなく
ただ喜びの気配だけ感じさせてくれるのが
それが一番で それよりも先にこちらに称賛が届くと
うまくいかなかった気分に落ち いらっとする
なので褒められたら ちって舌打ちする
可愛げのない行動をしてしまう。

そしてなぜか いらっとされた方も
せっかく褒めてやっったってのに!という
いらつきの表情も浮かばせる人もいるから

火に油

いつでもなんでも私を褒めてーっていう
甘えっ子には有効な 褒めご褒美は
わりと危険物でもあるとおもうのだが
今自分の自己分析を言語化して
めんどくさいこの感情の面倒くさい点を再認識した。
その結果がエンターテイメント性と合致して
考えの補強と理由を与えてしまった

あらゆる装飾を省くと 作るのが好きってだけになるが、なぜ作り出したのか幼少時を思い起こしても
そもそも誉めてもらう目的もなく 描いたもの作ったものも親から隠してた。。。
なんで隠してたんだ?と覚えてる事は
まだ自分で納得できるできじゃないから
ってのが幼児期からあった。。。

って事は経験によって歪んだというよりは
生まれながらってことか。。。

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